カンボジア料理店「アンコールワット」は昭和57年(1982年)にオープンしました。以来30年以上にわたり、地元の方はもちろん遠方からのお客様にも足を運んでいただいております。

現在オーナーシェフを務めるのは2代目の呉(ゴ)。カンボジアの首都プノンペン出身で、日本に来たのは1981年でした。

裕福な暮らしが内戦で一変、家族はバラバラに

昔は父親が輸入業を営んでおり、車が数台ありお手伝いさんもいる裕福な暮らしをしていましたが、内戦で暮らしは一変しました。

内戦中はお金も学校もなく、当都人々は強制的に農業に従事させられていました。それだけではなく、資本家、教師、医師、弁護士、知識人はもちろん、文字を読める、眼鏡をしているというだけで処刑の対象にもなったほどです。

輸入業を営んでいた父はすぐに目をつけられ牢獄に入れられました。家族はもちろんバラバラに。

ところがある日、村の長屋で眠っているところに軍用車が止まり「今すぐ荷物をまとめろ」と言われて連行されました。「これで終わりだ」と思いましたが、着いたのは軍部の村でした。そこには父がいて、他の家族もその村に集められ、久々に家族が再会できたのです。

「この国にいては未来がない」。命からがら日本へ

内戦が一段落すると、私たちは親戚と一緒に国を出ることを決意しました。それはかなり危険な行為であり、途中でつかまったら反逆罪で殺される可能性もあります。いくつかの死体が地面に転がるのも見ましたが、それでも父は「この国にいては未来がない」と国外脱出に命運をかけたのです。

まずタイへ向かっていた私たちは、水先案内人に密告され捕まってしまいました。たまたま以前住んでいた村に近かったので「タイに逃げようとしていたのではない。昔住んでいた村へ行こうとしていたのだ」と主張しましたが、全員監獄に入れられました。幸運だったのは、その村の村長が仲のいい人だったこと。彼は事情を知らなかったにもかかわらず、軍の尋問で話を合わせてくれたため、私たちは間一髪で釈放されたのです。

その後しばらく村にとどまり、再び脱出を敢行。そしてなんとか全員無事にタイの難民キャンプまで辿り着くことができました。そこで1年ほど出国の順番を待ち、私たちはようやく日本へ来ることができたのです。

日本への恩返しとして、カンボジアの食文化を紹介したい

脱出の際保証人になってくれた父の友人の助けもあり、来日してから1年後にレストランを開くことができました。レストランを開いたのは、父が「大好きな日本に恩返しの気持ちを込めて、カンボジアの食文化を紹介したい」という思いがあったからです。

当初は父がメニューを決め、母がすべての料理を作り、経営は二人三脚で行っていました。子ども5人を食べさせるために必死だったと思います。私たち兄妹も学校が終わると店にきて、配膳や会計を手伝っていました。よく伝票のつけ忘れがあり怒られていました(笑)。

メディアでの報道のおかげで、最初の数か月は多くのお客様に来ていただきましたが、ブームは長くは続きませんでした。ナンプラーやにんにくの強いにおいも、隣人から苦情を受けました。
そこで私たちは「日本人が楽しめる料理を作るために」とお客様に私たちの料理の嫌いな点を尋ねました。日本の食材で味をマイルドにし、ニンニクを減らすことで、アンコールワットは徐々に利益を上げ始めました。

家族は運命共同体。自分だけ好きなことを続ける決断はできなかった

私が学校教育を人生ではじめて受けたのは、もちろん日本に来てからです。日本語もわからず辛い思いもしましたが、高校では猛勉強をして、東京都の交換留学生に選ばれ、ニューヨークに短期留学したり英語のスピーチコンテストで全国2位を取るなどし、最終的には首席で卒業。その後指定校推薦を受け、青山学院大学経営学部へ入学しました。

卒業後は企業に就職をしたいと思ったこともありましたが、家族のことを考えるとできませんでした。
内戦を生き延び、日本に難民として来た僕ら家族は運命共同体です。姉や妹は高卒で、カンボジア人と結婚したので日本語はあまりできません。私だけ大学に行かせてもらって、その上さらに好きなことを続ける決断はできませんでした。両親も日本語があまりできないし、僕が抜けると家族の負担が大きくて。自分の好きなことを優先すべきじゃないと思ったし、就職せず店を継いだことに後悔はありません。常にベストの選択をしてきたと思っています。

お店で働くスタッフは全員がカンボジア人。私たちがビザを用意して招聘し、住まいと食事を提供して雇っています。常に祖国の人たちを助けたいという思いがあります。
カンボジアは発展途上にあるので、この店でまじめに働いてお金を貯め、それを元に新しいビジネスをして欲しいんです。すでに多くの人がカンボジアから日本の「アンコールワット」でひと回り大きくなって国へ帰っています。
懸命に仕事をして、頑張って貯金して成功したという話を聞くとすごく嬉しいです。